2013年07月06日

無信仰という信仰

このブログの説明部分

「無信仰の家族が経験した葬儀に関して〜」

この後書いて行くいろいろな出来事で
「無信仰である事」から感じた事がいくつかある。

一端ここで我が家の「信仰・宗教観」について
書いておきたいと思います。


誤解無きよう先に書いておきますが
特定の宗教 や 信仰を持つ方 を否定するつもりはありません。
信仰を持つ事で心穏やかに生きる事ができたり
人生が豊かであると考える人にはとても有意義な事でしょう。

あくまでも ボク・我が家はこうである。という説明です。


さて、皆さんはどのような信仰をお持ちでしょうか?

葬儀・法事のような行事の時以外には特に信仰を意識せずに
生活しているという人が多いのではないでしょうか?

お墓の関係でお付き合いのあるお寺さんがあるとか
お付き合いが無くても親族が亡くなって葬儀を開く際には
ご親戚の方や入るお墓の事で宗派を確認してお坊さんを呼ぶとか。

我が家の場合にはそういうのともチョット違います。

父方の祖母は非常に熱心なクリスチャンでした。
その事で父の兄弟は温度差はあるものの
父以外はみなクリスチャン。

なぜ父だけが違ったのか
断片的なエピソードはいろいろ聞いた事がありますが
そもそも論としては詳しく話した事はありません。
ただ明確な信仰を持った祖母・兄弟がいたことで
相対的に「無信仰である」というを認識して生活していた。


ボクが子供の頃、
父が運転する車に祖母とボクが乗る事があり
祖母はボクに宗教の話をしてきた。

「自分で判断出来ない子供にそういう話はしないで欲しい。」

父は話を遮った。

普段穏やかな父の自分の母親に対する
語気の強いその言葉に子供心ながら
何か感じるものがあった。

また母に祖母の信仰とは全く関係の無い文脈で
「神様は本当にいるの?」という
無邪気な質問を投げかけた事がある。

「お母さんには神様がいるかいないかはわからないけど
 もし神様がいるなら何にも悪い事をしていないお父さんを
 病気(透析の事)にした事については文句を言いたい」

なるほど。と。

まぁ細かなエピソードを書けばキリが無いのだけれど
そういう家庭で育ったボクは両親より輪をかけた形で
「無信仰である」という強い認識をもって生活してきた。

葬儀というのは誰だって慣れない行事である。
困った際には「普通は〜」というのが選択肢になる。

しかし「無信仰である」という事は
葬儀においては「普通は〜」の中には含まれず
一手間かかってしまうものだという事を知った。

それらの事に関してはこの後個別に書いていきます。


posted by shin at 05:51| Comment(0) | TrackBack(0) | 2.父が亡くなったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
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