2013年07月11日

「普通で無い葬儀」をするためには。

結局、我が家ではいわゆる「普通の葬儀」をする事になった。
今思い返しても現実的な選択であったし特に後悔などは無い。

しかし「無信仰である」という事情を考えると
「普通で無い葬儀」というのも選択肢に入っていた。
それを実践するために必要だった事が今ならわかる。

・事前に考えておく。

このブログでは再三書いて来た事だが
最も重要な事だと思うので改めて書いておく。

今日では「直葬」「音楽葬」「樹木葬」「散骨」などなど
葬儀や納骨にはいろいろな形式が存在する。
しかしそれらを実践したい場合には
やはり事前に考えておく事が重要。

どのような葬儀にするか?
どのように進行していくのか?
そういった葬儀に対応してくれる葬儀社はあるか?
予算的にはいくらぐらいになるだろうか?

考えなければならない事が非常に多い。
漠然と「こんな形」と思っているだけでは不十分。
亡くなってからの限られた時間で
これらもろもろを企画、検討し実践するのは困難である。


そしてボクが完全に見落としていた事で
「重要である」と感じた事がある。

・故人の明確な意思表示は重要である。

葬儀、法事に参加した際に良く聞く冗談として

「私が死んだ時は葬儀なんてしなくていい。
 川に流してくれればいいと息子には言ってある」

といったような発言を聞くことがある。
もちろん場を和ます冗談でである事は承知している。
同じ趣旨でもう少し現実的な発言としては

「葬式も墓もいらないから」

これも冗談ではあるだろうが
「遺された子に負担をかけたくない」
という部分は本心ではないだろうか。

もし実践するなら「直葬して散骨」という事だろう。


ここで一つ断言します。

明確な意思表示をしなければ
遺族はいわゆる普通の葬儀をします。


では明確な意思表示とは何か。


書面に遺しておく事です。


相続なども考えて法的に意味のある
遺書を遺しておく事ができるのが最も理想ですが
ここでいうのは葬儀の形式について。

前述の「時間的制約」以上に
遺族に負担になるのは親族への説明という問題です。

「普通で無い事」をすると
文句を言ってくる人がいる可能性があります。
これは非常にやっかいで文句をいう人の多くは
「普通 = 正しい」と考えている場合が多い。

葬儀は遺された家族のものであるのは当然の事。
しかし故人の兄弟などは「ぞんざいに扱われている」と感じ
「普通 = 正しい」の思考で意見を言ってくる。

「故人の生前の考え方なら〜」では納得させるには不十分。
「故人の強い希望で」でも口頭の説明では難しいだろう。
一番確実で遺された家族の負担を軽減させるのは
「確かに故人が望んでいたという証拠」である。

もしあなた自身に希望の葬儀の形があるのであれば
キッチリと書面に遺しておくべきです。
そしてその希望が「変わった形式」であるのなら
実践可能であるか調べて置くのもよいと思います。


posted by shin at 05:23| Comment(0) | TrackBack(0) | 2.父が亡くなったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月10日

葬儀の形。

親族が亡くなる状況は人それぞれ。それでも
「滞りなく済ませたい」
という想いは共通なのではないかと思う。

そして我が家の選択は無信仰ではあるものの
仏式で経をあげてもらい焼香をする。というもの。
いわゆる「普通の形の葬儀」をすることになった。

その後の流れについてはこれから書いていきます。
今日はここまでの流れで思った事について。


「普通の葬儀」というのを定義づけるのは難しい。

普段、信仰を意識せずに過ごしている人でも
いざ親族が亡くなった際にはお墓についてや
他の親族が行う葬儀の形式などを確認する事で
どういった葬儀をすることになるのか
自ずと決まってくる事もある。

もしそういった確認をする事で見えてくる形があるとすれば
それがその家族にとっての「普通の葬儀」という事になるだろう。

ただ我が家と同じ無信仰の場合は
「普通の葬儀」というのは無いと思った方がいい。

故人が生前、音楽が好きであったならお経の替わりに
好きだった曲をかける音楽葬などもステキかもしれない。
もし演奏する事が趣味で演奏仲間などがいる場合は
生演奏で葬るなどというのもいいだろう。

絵を描く事や写真撮影のが好きな人であれば作品を展示して
会場をギャラリーに見立て個展を開くのもいいかもしれない。

ただ実際の進行を考えるのは一苦労であるし
音楽や絵画・写真などのわかりやすい趣味ばかりではない。
「無信仰である」という事だけで仏式でもキリスト教式でも無い
葬儀の形を短時間で企画する事は難しいと思う。


先のエントリーにも書いたが
今はいろいろな葬儀・埋葬の形があるので
調べれば無信仰での葬儀を悩むことなく進行できる
パッケージプランを提供している葬儀屋もあるかもしれない。

しかし亡くなってから遺体搬送までの限られた時間で
該当の葬儀屋を探し依頼するのは非常に難しい。
何度も書いているように早い段階で検討しておく必要がある。

もしパッケージプランを用意していない葬儀屋さんで
依頼するのであれば遺族には「企画」という仕事をする事になる。


そして上記の様な葬儀は一般的に
「普通で無い葬儀」と受け取られるだろう。


posted by shin at 19:17| Comment(0) | TrackBack(0) | 2.父が亡くなったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする

2013年07月09日

どのような葬儀にするのか その2

葬儀屋さんが一端病室を出て家族のみで話合い。

母が開口一番

「できるだけ普通の形にしよう」

何も準備していない中で通夜・告別式を滞りなく
終わらせる為にも考える事を増やしたく無い。と。

家族内でも温度差がある事に
この時、初めて気がついた。


しかしこの段ではボクも同意見だった。

母の言うように何か具体的な考えもない状態で
事態に直面しているので
わからない、不安に思うことが多すぎる。

ぼんやり思っていた「無信仰での葬儀」。

完全にフォーマット化されていて
「おまかせコース」みたいなプランや
「焼香 or 献花」や「会場でかける曲リスト」など
いくつかの選択をするだけだと思っていた。

一つ前のエントリーにも書いたがそういった
サービスを用意している葬儀屋さんもあるだろう。

が、
少なくともウチがお願いした葬儀屋さんからの
最初の提案には入っていないのが現状。

この状況で無信仰の葬儀を行うという事は
「企画」という要素が出てくる。
これはあまりにもハードルが高い。


ここから家族が考えるのは

「できるだけ普通の形」

というのは何か?という事になる。


先にも触れた通り父方の親族は温度差があれど
「父以外」はクリスチャンである。

その環境で父は無信仰でだったわけだからキリスト教式は除外。
それ抜きでも参列者に生粋のクリスチャンが来る訳だから
間に合わせで中途半端な事をやれば大惨事である。

直葬は既に選択から外れているので
必然的に仏式の葬儀をする事になる。
もちろん付き合いのあるお寺さんなどもないので
葬儀屋さんに手配してもらってお坊さんを呼ぶ事に。


これでは不本意な葬儀になったのでは?

と思われる方もいるかもしれない。

正直正しい選択であったかどうかわからない。

しかし父にとって、家族にとって
「本意」というのが用意されていなかった。

事実上
「今から告別式までの4日間滞りなく済ませる」
という事が本意であった。

posted by shin at 09:08| Comment(0) | TrackBack(0) | 2.父が亡くなったあと | このブログの読者になる | 更新情報をチェックする
×

この広告は1年以上新しい記事の投稿がないブログに表示されております。